大阪地方裁判所 昭和51年(ワ)1103号 判決 1981年9月29日
昭和五一年(ワ)第一一〇三号事件原告・
田中健一
昭和五二年(ワ)第二七〇六号事件被告
ほか一名
昭和五二年(ワ)第二七〇六号事件原告
今井多郁子
ほか二名
昭和五一年(ワ)第一一〇三号事件・
杉田靖彦
昭和五二年(ワ)第二七〇六号事件被告
昭和五二年(ワ)第二七〇六号事件被告
杉田要
主文
一 昭和五一年(ワ)第一一〇三号事件について
1 被告杉田靖彦は、原告田中健一に対し、金五六〇万五二三八円、同田中幸子に対し、金五三九万五二三八円及び右各金員に対する昭和五一年三月二一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告田中健一、同田中幸子のその余の請求をいずれも棄却する。
二 昭和五二年(ワ)第二七〇六号事件について
1 原告今井多郁子に対し、被告杉田靖彦は、金一三三三万九二二四円及び内金一二三三万九二二四円に対する昭和四九年七月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告田中健一、同田中幸子はそれぞれ金六六六万九六一二円及び内金六一六万九六一二円に対する前同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
2 原告今井佐知子、同今井勲それぞれに対し、被告杉田靖彦は、金一二三三万九二二四円及び内金一一四三万九二二四円に対する昭和四九年七月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告田中健一、同田中幸子は、それぞれ金六一六万九六一二円及び内金五七一万九六一二円に対する前同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。
3 原告今井多郁子、同今井佐知子、同今井勲の被告杉田靖彦、原告田中健一、同田中幸子に対するその余の請求並びに被告杉田要に対する請求をいずれも棄却する。
三 訴訟費用について
1 原告田中健一、同田中幸子と被告杉田靖彦間に生じた訴訟費用は、これを一〇分し、その七を原告田中両名の、その余を被告杉田靖彦の負担とする。
2 原告今井多郁子、同今井佐知子、同今井勲と被告杉田靖彦間に生じた訴訟費用は、これを二分し、その一を原告今井三名の、その余を被告杉田靖彦の負担とする。
3 原告今井多郁子、同今井佐知子、同今井勲と被告杉田要間に生じた訴訟費用は、原告今井三名の負担とする。
4 原告今井多郁子、同今井佐知子、同今井勲と原告田中健一、同田中幸子間に生じた訴訟費用は、これを二分し、その一を原告今井三名の、その余を原告田中両名の負担とする。
四 仮執行宣言について
この判決は、主文一の1、二の1、2に限り、仮に執行することができる。
事実
第一当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
(昭和五一年(ワ)第一一〇三号事件)
1 原告田中両名代理人は、「(一)被告杉田靖彦は、原告田中健一に対し、金一六〇一万九八一〇円、同田中幸子に対し、金一四六三万四〇八五円及び右各金員に対する昭和五一年三月二一日から各支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。(二)訴訟費用は被告杉田靖彦の負担とする。」
との判決並びに仮執行の宣言を求めた。
(昭和五二年(ワ)第二七〇六号事件)
2 原告今井三名代理人は、「(一)原告今井多郁子に対し、被告杉田靖彦、同杉田要は各自金三七〇四万八〇六四円及び内金三三六八万八〇六四円に対する昭和四九年六月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告田中健一、同田中幸子はそれぞれ金一八五二万四〇三二円及び内金一六八四万四〇三二円に対する前同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。(二)原告今井佐知子、同今井勲それぞれに対し、被告杉田靖彦、同杉田要は各自金二二八四万〇七四六円及び内金二〇七七万〇七四六円に対する昭和四九年六月三〇日から支払ずみまで年五分の割合による金員を、原告田中健一、同田中幸子はそれぞれ金一一四二万〇三七三円及び内金一〇三八万五三七三円に対する前同日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。(三)訴訟費用は被告杉田両名及び原告田中両名の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求めた。
二 請求の趣旨に対する答弁
(昭和五一年(ワ)第一一〇三号事件)
1 被告杉田靖彦代理人は、「(一)原告田中両名の請求をいずれも棄却する。(二)訴訟費用は原告田中両名の負担とする。」との判決を求めた。
(昭和五二年(ワ)第二七〇六号事件)
2 被告杉田両名及び原告田中両名代理人らは、「(一)原告今井三名の請求をいずれも棄却する。(二)訴訟費用は原告今井三名の負担とする。」との判決を求めた。
第二当事者の主張
一 請求原因
1 事故の発生
(全事件)
昭和四九年六月三〇日午前一時一〇分頃、大阪府松原市丹南二丁目二四〇番地先交差点(以下「本件交差点」という。)において、西から東に直進中の被告靖彦運転の普通乗用自動車(泉五五つ四九六六号。以下「甲車」という。)と南から北に直進中の今井勇(以下「勇」という。)運転の普通乗用自動車(泉四四ひ八九九五号。以下「乙車」という。)とが出合頭に衝突し、そのため勇は翌七月一日午前一一時四三分頭部外傷三型により、甲車助手席に同乗していた田中博文(以下「博文」という。)は当日午前二時三二分頭部外傷四型により、それぞれ死亡した。
2 責任原因
(全事件)
(一) 被告靖彦は、制限速度を大幅に上回る時速約一〇〇キロメートルの速度で加害車を走行させたうえ、赤信号を無視して甲車を本件交差点に進入させた過失により、本件事故を発生させたものであるから民法七〇九条により、原告田中両名及び原告今井三名の損害を賠償する義務がある。
(二七〇六号事件)
(二) 被告要は、本件事故後、原告今井三名に対し、被告靖彦の同原告らに対して負担する前記(一)に基づく損害賠償債務について、保証する旨約した。
(三) 博文は、甲車を所有し、自己のため運行の用に供していたものであるから、自賠法三条により、原告今井三名の損害を賠償する義務があるところ、原告田中両名は、博文の両親であり、同人には他に相続人はいないから、同人の死亡に伴い、その相続分(各二分の一宛)に従い、同人の右損害賠償義務を相続した。
3 原告田中両名の損害(一一〇三号事件)
(一) 博文の損害
(1) 逸失利益
博文は、事故当時二〇歳で、実父である原告健一の経営する株式会社美原製作所に勤務し、一か月平均九万九七八三円の収入を得ていたものであるところ、同人の就労可能年数は死亡時から四七年、生活費は収入の五〇パーセントと考えられるから、同人の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、金一四二六万八一七〇円となる。
(2) 慰藉料
博文の精神的苦痛を慰藉するには、金四〇〇万円が相当である。
(3) 甲車の損傷
博文は、甲車を所有していたところ、本件事故により大破していわゆる全損の状態となり、金一〇〇万円の損害を被つた。
(4) 相続
原告田中両名は、博文の両親であり、同人には他に相続人はいないから、同人の死亡により、その相続分(各二分の一宛)に従い、同人の損害賠償請求権を相続取得したので、各金九六三万四〇八五円の償権を有している。
(二) 原告田中両名固有の損害
(1) 葬儀関係費用 原告健一
金一三八万五七二五円
原告健一は、博文の葬儀のため、金一三八万五七二五円を支出した。
(2) 慰藉料 各金五〇〇万円
本件事故により博文を失つた原告田中両名の精神的苦痛は筆舌に尽し難いものがあり、これを慰藉するには各金五〇〇万円が相当である。
4 原告今井三名の損害(二七〇六号事件)
(一) 勇の損害
(1) 逸失利益
勇は、事故当時四〇歳で、株式会社イマイに取締役営業部長として勤務し、一か月平均二七万五〇〇〇円の収入を得ていたものであるところ、同社は勇の兄弟を経営陣とするいわゆる同族会社であるので、事故に遭遇しなければ、平均余命期間である三三年間は少くとも右金額を下らない収入を得ることは可能であり、また、生活費は収入の三〇パーセントと考えられるから、同人の死亡による逸失利益を年別のホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、金四四三一万二七三〇円となる。
(2) 相続
原告多郁子は勇の妻、同佐知子、同勲はいずれも勇の子であり、勇には他に相続人はいないから、右原告三名は、勇の死亡により、その法定相続分(各三分の一)に従い、勇の損害賠償請求権を相続取得したので、各金一四七七万〇九一〇円の債権を有している。
(二) 原告今井三名の各固有の損害
(1) 葬儀関係費用 原告多郁子
金二九一万七三一八円
原告多郁子は、勇の葬儀のため、次のとおり計金二九一万七三一八円を支出した。
イ 寝台車使用料 一万円
ロ 葬儀費 一〇一万五四七八円
ハ 香典返し費用 六七万一八四〇円
ニ 仏壇購入費 五〇万円
ホ 墓地永代使用料 七二万円
(2) 慰藉料 原告多郁子金二〇〇〇万円
原告佐知子、同勲
各金一〇〇〇万円
本件事故により勇を失つた右原告三名の精神的苦痛は甚大であり、これを慰藉するには、原告多郁子につき金二〇〇〇万円、同佐知子、同勲につき各金一〇〇〇万円が相当である。
(三) 損害の填補
原告今井三名は、次のとおり支払を受けたので、その相続分に従い(各金四〇〇万〇一六四円)、それぞれの債権に充当した。
(1) 自賠費保険金 金一〇〇〇万〇四九〇円
(2) 被告要から 金二〇〇万円
(四) 弁護士費用 原告多郁子金三三六万円
原告佐知子、同勲
各金二〇七万円
右原告三名は、原告ら訴訟代理人に本件訴訟の提起と追行を委任し、その報酬として原告ら訴訟代理人に対し、原告多郁子は金三三六万円、同佐知子、同勲は各金二〇七万円の支払をなすことをそれぞれ約した。
5 本訴請求
(一一〇三号事件)
よつて、請求の趣旨1記載のとおりの判決(遅延損害金は本件事故の日の後である請求の趣旨記載の日から民法所定の年五分の割合による。)を求める。
(二七〇六号事件)
よつて、請求の趣旨2記載のとおりの判決(遅延損害金は本件事故の日である各請求の趣旨記載の日から民法所定の年五分の割合による。ただし、弁護士費用に対する遅延損害金の請求はしない。)を求める。
二 請求原因に対する答弁並びに主張
(答弁)
1 第1項記載の事実について
(被告杉田両名) 被告靖彦が甲車の運転者であり、博文が同車助手席の同乗者であるとの点を除き、認める。甲車の運転者は博文である。
(原告田中両名) 認める。
2 第2項について
(被告杉田両名) (一)記載の点は争う。
(被告要) (二)記載の事実は否認する。
(原告田中両名) (三)記載のうち、博文が甲車を所有していたこと及び同原告らが同人の両親であることは認めるが、その余は争う。
3 第3項記載の事実について
(被告靖彦) 知らない。
4 第4項記載の事実について
(被告杉田両名、原告田中両名) (三)記載の事実は認めるが、その余は知らない。
(主張)
1 被告杉田両名(全事件)
甲車の運転者が博文であつて、助手席同乗者が被告靖彦であつたことは、次の事実からも明らかである。
(一) 事故直後停止していた甲車内において発見された時の状況は、被告靖彦、博文は、助手席の方へ寄せられてくつついた形で、同被告が運転席に近い方に、その左側に博文が位置していたにすぎず、本件の衝突によつて、両者の位置が入れ替つたものである。
(二) 本件事故は、甲車の右側面(運転席側)に乙車が衝突したものであるから、運転席の乗員は、助手席の乗員よりも重傷を負い、とりわけ、ハンドルに胸部、腹部を打ちつけ(右ドア前部とハンドルとの間隔は狭い。)、右窓ガラスの破片によつて負傷しているはずであるが、このような受傷状況にあるのは博文であつて、被告靖彦ではない。
(三) 甲車運転席上部天井には、助手席に向け、はけではいたような血痕が付着していたので、運転席の乗員が天井に頭部をすりつけるようにして助手席へ移動したものと考えられるところ、このような大量の出血が頭部にみられたのは博文であつて、被告靖彦ではない。
(四) また、甲車助手席前フロントガラス枠上部に、遺留していた毛髪の血液型がO型であることが判明しているところ、被告靖彦の血液型はO型であるから、このことも被告靖彦が助手席に同乗していたことを推定させるものである。
(五) さらに、甲車のブレーキペタルの下に博文のサンダルの片方がくい込むような形であり、被告靖彦の靴の片方が助手席シートと左ドアの間にあつたことは、博文が運転席に、被告靖彦が助手席にいたことを示すものである。
(六) 事故直前、甲車助手席に被告靖彦が座つているのを目撃した者が数名いる。
(七) 博文は、当日メガネをかけていなかつたが、普段でもメガネをかけず甲車を運転していたことがある。また、博文はかなり粗暴な運転をしたこともあり、本件のような無暴な運転も絶対しないという保証はない。
2 原告田中両名(二七〇六号事件)
(一) 仮りに、博文が運行供用者責任を負うとしても、原告田中両名は、博文の負う義務の存在を容易に知ることができなかつたため、相続放棄手続をなさなかつたものであるうえ、本件事故により実子である博文を失つているのであつて、このような原告両名に右義務の相続は認められるべきでない。
(二) 本件事故の発生については、勇にも甲車の動静に留意して乙車を運転すべき義務があるのにこれを怠り漫然直進した過失があるから、原告今井三名の損害の算定に当つては過失相殺がなされるべきである。
三 右主張に対する答弁
1 原告田中両名、原告今井三名
主張1記載の点は争う。
2 原告今井三名
主張2記載の点は争う。
第三証拠関係〔略〕
理由
第一事故の発生
一 昭和四九年六月三〇日午前一時一〇分頃、本件交差点において、西から東に直進中の被告靖彦、博文両名が乗つていた甲車と南から北に直進中の勇運転の乙車とが出合頭に衝突し、勇は翌日午前一一時四三分頭部外傷三型により、博文は当日午前二時三二分頭部外傷四型によりそれぞれ死亡したことは、全当事者間に争いがない。
二 また、甲車の当時の運転者が被告靖彦であり、博文は同車の助手席に同乗していたことは、原告今井三名と原告田中両名の間には争いはない(なお、原告田中両名と被告靖彦の間及び原告今井三名と被告杉田両名の間には争いがあるが、この点は後記第二において併せ判示する。)。
第二責任原因
一 原告田中両名、同今井三名は、甲車の本件事故当時の運転者は被告靖彦であり、同被告の過失により本件事故が発生したものであると主張するのに対し、被告杉田両名は、事実欄第二の二の「主張」記載のとおり運転者は博文であつて、被告靖彦は助手席に同乗していたにすぎないと抗争するので、甲車の事故当時の運転者が両者のうち誰であるかについて、以下検討を加えることとする。
1 事故の状況等について
第一の一記載の争いのない事実に、成立に争いのない乙第二号証の六、七、一五ないし二四、二七ないし二九、三六ないし四〇、同第四号証の二、同第六号証の二、七、同第八号証の三、同第一〇号証の二、五、原本の存在及び成立に争いのない同第一七号証、同第一九号証、同第二二号証の三、証人山本隆司の証言並びに弁論の全趣旨を併せ考えると、次の事実が認められる。即ち、
(一) 本件交差点は、大阪府松原市の南部に位置し、いずれも歩車道の区別があり、アスフアルト舗装された、東西に通じる大阪中央環状線と南北に通じる国道三〇九号線とがほぼ直角に交差する、信号機の設置された十字型交差点であること、中央環状線の、南北両側に設けられた歩道は、幅員約三メートル宛であり、車道は、道路中央に設置された幅員約二メートルの島状の中央分離帯により、幅員各一三・一メートルの東西各行車線に分離され、各車線ともさらに四車線に区分されていること、一方、国道三〇九号線の、東西両側に設けられた歩道は、幅員約二・五メートル宛であり、車道は、同じく島状の中央分離帯(幅員は定かではないが、中央環状線のそれより狭いと思われる。)により、南北各行車線に分離され、交差点北側では、幅員七メートルの北行二車線、幅員九メートルの南行三車線に、交差点南側では、北行、南行とも各三線(いずれも幅員は明らかでない。)にそれぞれ区分されていること、本件交差点の四方には、それぞれ幅員四メートルの横断歩道が設けられ、東西両側のそれは約四六メートル、南北両側のそれは必ずしも定かではないが約五〇メートル隔つていること、また、同交差点の北東角には、ゼネラル石油大道産業松原給油所が、南東角には、歩道と空地の間にブロツク塀がそれぞれあるほか、各角は空地や畠になつていること、ところで、交通規制として、最高速度は、中央環状線の場合、時速六〇キロメートルに、国道三〇九号線の場合、時速五〇キロメートルにそれぞれ制限されていること、なお、本件事故当時夜間であつたが、交差点内は、四隅の歩道上に設置された街路燈の照明などで明るい状態であつたこと。
(二) 甲車(三菱ギヤラン)は、重量一〇一〇キログラムで、二名の乗員を加えると計約一一二〇キログラム程度になると思われ、車の高さを下げ、幅の広いレーシングタイヤを装着した改造車両であつたため、安定性、走行性において優れていること、一方、乙車(トヨタコロナバン)は、重量一〇四〇キログラムで、一名の乗員を加えると計約一〇九五キログラム程度になると思われ、タイヤも通常のものを使用していたこと。
(三) 甲車は、中央環状線東行車線を進行中、本件交差点の西方約一八〇〇メートルに位置する交差点(塵埃交差点)に赤信号を無視して進入したため、折からサーキツト族取締に従事中の堺北警察署所属のパトカーの追跡を受け、いつたんは本件交差点の西方約九〇〇メートルに位置する交差点(野遠交差点)において、信号待ちのため停車中の車両があつたので、停止せざるを得なくなり追い付かれたこと、しかし、対面信号が青になり停車車両が発進し始めるや、甲車は、パトカーを振り切ろうと、先行する車両の間を追い抜きながら、時速一〇〇キロメートルをはるかに上回る速度に加速して本件交差点に接近し、先行車(河島徳松運転)を追い越し、同交差点の赤信号表示に従い停止中の車両の側方すれすれを、強行直進すべく、同交差点内に進入し、西側横断歩道東端より約一七・二メートル東進した地点で、乙車と衝突したが、その際甲車は、右衝突直前、乙車を認め、やや左に転把したこと。
(四) 乙車は、国道三〇九号線北行車線を進行し、本件交差点にさしかかつた際、折から対面信号が青色を表示していたので、右信号に従い時速八〇キロメートルを若干下回る速度で、車道左端から約四メートルの間隔をとつて、同交差点内に進入し、その中心線(中央環状線の中央分離帯を交差点内で結んだ線)を越えて約一〇メートル北進した地点(北側横断歩道南端から約一八・四メートル南側)で、甲車と衝突したこと(従つて、前記(三)認定の甲車の衝突地点と併せ考えると、乙車は本件交差点内に明らかに先入し、甲車が乙車の進路を強引に通過しようとしたことが明白となる。)、なお、乙車は、右衝突直前、甲車を認め、急制動に及ぶとともに、右に転把して衝突を避けようとしたもので、路面にスリツプ痕一条が残されていたこと。
(五) 甲、乙両車は、前記(三)及び(四)で認定したとおり、互いに回避措置を講じた結果、甲車の右側前部フエンダー部に、乙車前部の左よりの部分が、直角というよりはむしろかなりの鋭角をなして接触したと考えられること(甲車右側前部フエンダー部に前方から後方に向う擦過痕が残り、右前輪支持部が破断し、リムの変形が著しい。乙車前部の右端約三五センチメートルの範囲には接触痕はみられない。)、そのため、両車の速度差も加わつて、瞬時とはいえ、両車は相接して同一方向に併進状態になつたこと(そのため、甲車運転席側ドア外側表面には、乙車車輪タイヤのシヨルダーによる擦過痕があり、それに続いて車輪、リムの各外径部及びベアリングキヤツプによる打痕が印象されている。)、その後、両車は、それぞれ右回りの運動をしながら、北東方向に移動し、甲車は、逸速く交差点北東角の高さ約二〇センチメートルの歩道縁石を越え、前記給油所構内の鉄製案内柱に後部から時速四〇キロメートル程度で衝突して(このため、案内柱の地上一・一ないし一・二メートル以下に擦過痕が残つた。)、車首を北西に向け停止し、その車内に、被告靖彦と博文がいたこと、他方、乙車は、右歩道縁石(甲車の越えたところよりも、北西方向になる。)を越して、右給油所前歩道上に車首を南東に向け停止し、同車の運転者勇は、同車後部(荷物室)右側ガラス窓が離脱し、そこから車外に投げ出され、同車の西南側歩道上に転倒していたこと。
以上の事実が認められ、右認定を左右するに足りる証拠は存しない。
2 停止した甲車内における乗員の状況について
(一) 前記乙第二号証の一六、一七、二八、三六、三八、四〇成立に争いのない同号証の一三、三二、三四、三五、四一によると、次の事実が認められる。即ち、
(1) 甲車の運転席と助手席は、一連の座席となつているのではなく、それぞれ別個のシートからなつていること、両席の間にはコントロールボツクス(各シートの座部とほぼ同程度の高さがある。)があつて、両席を明確に分つているうえ、右ボツクス上には、高さ約四〇センチメートルのチエンジレバーが取付けられていること。
(2) 衝突後停止した甲車内では、運転席シートが約二〇センチメートル程度左に寄せられていたとはいえ、両座席は明らかに別個の空間をなしていたこと、そして、被告靖彦が運転席シートに、博文が助手席シートに、ともに顔面をやや右方に向け、後方に倒れたシートの背もたれに寄りかかり前方を向いた姿勢で、被告靖彦は「痛い痛い」と声を出し、両足あるいは片足を運転席前方の計器盤の上にのせ、両手を顔面付近にまであげ、博文は意識不明の状態で両足を助手席前部足元の床板につけた状態で、それぞれ座つていたこと、そのため、両名の肩あるいは頭部等が触れ合つてはいなかつたこと。
以上の事実が認められ、右認定に反する乙第八号証の三、同第一九号証中の供述記載部分は、かなりあいまいな印象を述べているにすぎず、前顕各証拠と比照し、にわかに信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) 右認定事実によると、本件事故当時被告靖彦が甲車運転席にあつて運転したものであると推認されるところ、被告杉田両名は、事実欄第二の二の主張1において記載のとおり、被告靖彦は博文の運転する甲車助手席に同乗していたのにすぎないのに、本件衝突の衝撃のため、両者の位置が入れ替つてしまつたものであると主張するので、次項3以下において、さらに判断することとする。
3 本件衝突後の車体の運動状況について
(一) 前記1認定の事実に、前記乙第二号証の一五ないし一九、同第六号証の二、七、同第一〇号証の二、五並びに弁論の全趣旨を併せ考えると、次の事実が認められる。即ち、
(1) 甲車は、乙車と瞬時相接したのち、両車両の速度差が極めて大きく、しかも勇において、急制動に及ぶとともに右転把の措置を講じていたこと等と相埃つて、乙車を進路から押しのけるような形で離れ、右回りに乙車の回転(後記(2))よりは大きな弧を描きつつ北東角の歩道縁石に至つたこと、この間の回転角速度及び態様等については、必ずしも詳らかとはいえないが、路面には、乙車の残したスキツド痕のような激しい回転運動を示す痕跡は見当らなかつたこと、そして、甲車は、右縁石に左後輪より乗り上げ(約二メートルのタイヤ痕を歩道上に残し)、後向きのまま前記1の(五)で認定したとおり鉄製案内柱に激突したが、その衝撃は大きく、前記2の(一)で認定したとおり、運転席、助手席の両シートは後部座席背もたれに押し倒された状態になつたものの、その際の乗員に及ぼす影響は、せいぜい右斜あるいは左斜の前後方向であつて、専ら前後の激しい動きに限られるものと考えられ、乗員が左右反対方向に相互に動くことはないと推測されること、なお、甲車の乗員は、助手席側ドアの窓ガラスが開けられていたにもかかわらず、車外に投げ出されていないこと。
(2) 乙車は、甲車と離れ、右回りに激しく回転しながら歩道縁石に右前輪から乗り上げ、なお回転して、前記1の(五)で認定したとおり停止したが、この間、全く安定を失い、勇は車外に投げ出されるに至つたこと。
以上の事実が認められ、右認定に反する乙第二六号証の二、同第二七号証の三、四、同第三七号証は後記(三)において判示するとおりであつて、いずれもこれを採用し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。
(二) 右認定事実に、前記1及び後記4で認定するとおりの事実(殊に、甲車の車体、使用タイヤ、乗員の受傷状況)を併せ考えると、本件衝突の衝撃によつて甲車の被つた影響は、乙車に比して軽いものにとどまり、車体の回転及びこれに伴う左右の傾斜運動(前後の運動は別として)も、車体そのものの安定を失わせる程度にまで至らなかつたものと認められるので、本件衝突後の車体の運動状況からみて甲車内の乗員の入れ替りを肯定することはできないし、さらに、右認定事実によると、甲車の運転席、助手席の両シートの背もたれは、甲車が鉄製案内柱に激突するまでの間後方に倒されてはいなかつたものと推認されるから、通常の位置に背もたれのあつた場合の運転席、助手席双方の空間の広さから考えてみても、乗員の入れ替りを想定することは著しく困難であるといわなければならない。
(三) ところで、狼嘉郎は、全当事者間において原本の存在並びに成立に争いのない乙第二六号証の二、同第二七号証の三、四、原告今井三名との間では原本の存在並びに成立に争いがなく、原告田中両名との間では原本の存在には争いがなく、弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる同第三七号証において、甲・乙両車とは車種等を異にする二台の自動車をいずれも時速八〇キロメートルの等速で、直角に衝突させた実験の結果に基づき、衝突後の甲車の回転、傾斜は激しく、甲車内の乗員の入れ替りも可能である旨述べている。
しかしながら、右実験は、次の諸点において、本件事故の状況とは異るものである。
右各証拠によると、次の各事実が認められる。
<1> 車種、重量については、S車(甲車に相当する。)のトヨタカローラ一二〇〇CCは、搭載ダミー二体を含め重量約九六〇キログラムであること、F車(乙車に相当する。)のトヨタコロナは、搭載ダミーはなく重量約九七〇キログラムであること。
<2> 使用タイヤについては、S・F両車とも通常タイヤを使用していること。
<3> 速度については、S・F両車とも時速八〇キロメートルの等速であること。
<4> 接触部位と角度については、S車の運転席横ドア部分にF車の前部正面を直角に衝突させたものであること。
右の諸点を、前記1の(二)ないし(五)において認定した諸点、殊に本件衝突の場合の接触部位、角度と比べてみると、右実験の前提となつた諸条件特に接触部位、角度(S車の右ドア部にF車の全重量がまともにかかる。)は、本件衝突の状況とは著しく相違するものであることが認められるのみならず、実験の結果、とりわけS・F両車が併進状態にならなかつたこと、S車が横転したこと等は、前提条件の違いが大きく作用したものと考えられるのであつて、衝突後の現実の車体の運動状況は、右実験結果とは様相を異にするものといわざるを得ないので、右実験結果のみに基づく供述をそのまま採用することはできない。
また、前記各証拠によると、右実験によつても、ダミー(運転席と助手席搭載)の入れ替りはなかつたことが認められるところ、右狼は、ダミーであつたため、入れ替らなかつたにすぎず(運転席ダミーの腰部が運転席シートと右ドアの間にはさまれた。)、人間であれば、身体の柔軟性によつて入れ替る可能性がある旨述べて、この違いを説明しようとするけれども、にわかに納得し難く、そのまま肯認することはできない。
4 甲車乗員の負傷の部位、程度並びに甲車内の損傷、遺留痕跡等の状況について
(一) 前記乙第二号証の一六ないし一八、同第六号証の二、七、同第一〇号証の二、五、成立に争いのない同第二号証の九、一〇、四三、同第五号証の二ないし五、同第一一号証の三、五、原本の存在及び成立に争いのない同第二四号証の三、七、同第三二号証の一ないし三、同第三三号証の一、二並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる。即ち、
(1) 被告靖彦は、本件事故により、<1>右頭部(右耳後部)挫創、これに際しての頭部外傷二型、<2>右肩打撲傷、<3>第六頸椎骨折、<4>左顔面挫創の傷害を負い、右<3>が最も重く、全治まで四か月程度を要したほかは、いずれも比較的軽微であつて、右以外何らの打撲傷等の傷害も負つていなかつたこと、これに対し、博文は、本件事故により死亡したが、<1>その直接の死因は、頭部外傷四型による頭蓋内出血であること、そのほか、同人は、<2>頭部、前額部、顔面、右肩、胸部中央、腹部、足などに切創、擦過傷を負い、<3>身体右側部分に多数のガラス破片が刺さり、<4>全身各部に強打したと思われる打撲傷の跡が、<5>背部にはガソリンによる炎症がそれぞれ認められていること(なお、乙第七号証の四の供述記載並びに証人藤井善樹、同山田勝彦の各証言中には、博文の足に異常―足の様子は外向きになつているとか、右か左が長いとか―があつたかのように述べる部分があるけれども、必ずしも明瞭なものといい難く、右証拠のみによつて博文の足等に内部損傷があつたと断定することはできない。)。
(2) 甲車内部をみると、運転席側ドアの最も後の部分(運転者の通常の位置からすると、右斜後方にあたる。)が前方から後方に押し曲げられ、車内に突き出した状況にあり、その付近のフエンダー間から毛髪数本が採取されたこと(右毛髪は被告靖彦のものとみて妨げがないこと)、また、助手席前フロントガラス枠上部の左端から約一五センチメートルの箇所が破損し、そこに車体外側から内側にくい込むようにして数本の毛髪が付着していたこと、車内一面にガラスの破片が散乱していることが認められ、特に、助手席側に多く、しかも血痕の着いたガラス片が多数散乱していたこと、また、ステアリングホイルが左側に約四五度曲る損傷が認められたほかは、コントロールボツクス、チエンジレバー、クラツチペタル、ブレーキペタル等には格別の折損等の損傷はなかつたこと、後部座席は、完全に圧縮、変形された状況にあること。
なお、甲車前部天井には、位置、形状等は必ずしも定かとはいい難いが、血痕が付着していたようであること(この点に関し、被告杉田両名は、天井には運転席から助手席に向け、はけではいた形の血痕が付着していた旨主張し、これに副う乙第八号証の四、同第一九号証、証人深井雅俊の証言、被告要本人の尋問の結果(第二回)等も存するけれども、その状況を撮影したとされる乙第九号証の五、検乙第二号証の一一、同第七号証の一七、一八によつても、その位置、形状等を確認し得ないばかりでなく、証人深井は、右乙第八号証の四において、血液のみならず毛髪も付着していたと述べるなど、他の証拠とは著しく異なる内容の供述をしているうえ、乙第一九号証の供述者である西村孝治も、乙第八号証の三において、右血痕の状況について、「見て血やなとわかる程度です。」と述べるなど、あいまいな供述をなしていることなどを考え併せると、右主張をそのまま認めることは困難である。)。
以上の事実が認められ、右認定に反し、被告靖彦の背部の炎症がラジエターの湯か、バツテリーの液(稀硫酸)によるかのように述べる乙第二六号証の二の供述記載部分は、同第二七号証の三の供述記載からも明らかなように、単なる憶測に基づくものであるうえ、前記同第五号証の四に照らし到底措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) 以上のとおりであるから、以上の認定事実のもとにおいて、甲車の運転者が被告靖彦であつたか、博文であつたかを推定することができるかどうかについて検討する。
(1) 前記乙第六号証の七によると、甲車の乗員は乙車との接触による減速と乙車による自車の左方向への急移動のため慣性により、右斜前方へ倒れるため、運転者は右ドア前部付近に、助手席同乗者はステアリングホイルないしダツシユボード中央付近にそれぞれ衝突するようになると認められるところ、前記(一)で認定した事実(殊に右ドア前部には後部のようにドアの曲損がみられないことや、ステアリングホイルの損傷状況等)によると、被告靖彦が運転席にいたため、右ドア前部部分に右肩をぶつけ、博文が助手席にいて、ステアリングホイルにぶつかつたため、それぞれ当該部分を負傷したものとみるのが、合理的であると考えられる。
(2) 前記8の(一)で認定したとおり、甲車が鉄柱に衝突した際、その衝撃により、運転席、助手席各シートの背もたれは後方に強く押倒されたと認められるところ、前記(一)認定の事実によると、被告靖彦は、甲車が鉄柱に激突した際、運転席にいたため、後方に押され、右ドア後部の曲損部分に右側頭部を打ちつけ、前記(一)で認定したとおり負傷したと考えられる。
(3) さらに、前記(一)で認定したフロントガラス枠上部の破損と毛髪の付着状況からすると、甲車の乗員が頭部を相当強く打ち当て(そのため右破損が生じた。)、外側から内側に移動した(そのため毛髪が付着した。)ことによると推測されるところ、このような機序により生じた可能性のある外傷は、被告靖彦にはなく、博文には前記(一)で認定したとおり頭部、前額部、顔面等の負傷が存するのであつて、このことも博文が助手席にいたことを示すものと推測される。
(4) 前記(一)で認定した車内のガラス破片の散乱状況からすると、助手席の人物がガラス破片による傷害を多く負つているものと推測されるところ、これに見合う外傷は、被告靖彦には極めて少なく、博文には前記(一)で認定したとおりガラス破片がささつた状態が認められるのであつて、このことも博文が助手席にあつたことを示す一事情と考えられる。
(5) 前記(一)の(1)記載の認定事実によると、被告靖彦の受傷個所、程度も、博文に比してはるかに軽微であると認められるうえ、前記2の(一)で認定したとおり、被告靖彦は甲車内から救出された際、すでに意識があり、しかも、前記乙第二号証の三三、四二、同第三号証の二によると、搬送される救急車内において、救急隊員に対し、自己の氏名、住所、電話番号のみならず、博文の氏名、住所、電話番号もはつきり答えていることが認められるのであつて、これらの諸事情を併せ考えると、被告靖彦の衝撃は軽く、鉄柱に衝突した際の衝撃が相当程度であつたことを加えても、右の程度にすぎないとすると、乙車との衝突によるそれは一層軽微なものと思われる。これに比し、博文の受けた衝撃は極めて大きい(身体各部に打撲傷がみられる。)と思料され、このような両名の差は、被告靖彦が運転席にあつて、事前に危険を察知し、あらかじめハンドルをしつかり握つて防御できる態勢をとつていたのに対し、博文は、助手席にあつて、何ら身体を支えるものもなく、不意に衝撃を受けたため、車体の運動に従い身体を各所に打ちつけたためであると推認される。
もつとも、被告靖彦は、乙第八号証の八、一〇、第一一号証の三、第二四号証の三、同人の本人尋問において、本件衝突の際の状況につき、同被告は助手席にいて運転席の博文から追跡してくるパトカーの様子を見てくれといわれ、体を右横にまわし、助手席から乗り出すように中腰でうしろを見た、ところがパトカーは見えなかつたので「もうきやへんわ」といいながら体を元にもどそうとしたとき、衝突の衝撃を受けた、と供述しているけれども、もし、右の供述のとおりの姿勢で本件衝突に至つたとするならば、被告靖彦の受傷は、到底先に述べたような部位、程度、態様のものですむとは考えられず、前顕認定に供した各証拠と比照して、これを信用するに由ない。
(6) なお、前記(一)の(2)記載の認定事実によると、甲車内天井に血痕が付着していたことは一応認められるものの、その位置、形状等が必ずしも明らかでないことは前示のとおりであるうえ、被告靖彦も、顔面、頭部等にも傷害(挫創)していることが認められるので、右血痕が被告靖彦のものか、博文のものか明らかではないので、右血痕の存在が直ちに運転者確定に役立つものということはできない。
以上のとおり、甲車乗員両名の受傷状況及びこれと車内の損傷状況との相互の関係を総合的に吟味してみても、被告靖彦が運転席に、博文が助手席にいたとの推定を覆すに足りる事情は見当らないのである。
もつとも、被告杉田両名は、博文のサンダルの片方が甲車運転席足元のブレーキペダルの下にあり、被告靖彦の靴の片方が助手席シートと左ドアの間にあつた旨主張し、乙第七号証の四の記載中にはこれに副うものが存するけれども、前記乙第一一号証の三、同第二四号証の三、成立に争いのない同第八号証の一一によると、当夜、博文は、女物のサンダル(ぞうり)をはいていたところ、被告靖彦は前示のとおり靴をはいていたこと、成立に争いのない乙第二号証の五一により認められる勇の社会的地位や勤務先からの帰途、事故に遭遇したこと等に鑑みると、勇は少くともぞうりで乙車を運転していたとは考えられないこと等からすると、右ぞうりは、博文の履物であつたと認められるので、前記乙第七号証の四のこの点に関する供述記載はにわかに信用できない。
次に、靴について考えるに、右乙第七号証の四のほか、前記乙第二号証の三四、三五、四一、成立に争いのない同号証の三〇、三一、三三、四二、同第三号証の二によると、山本隆司が甲車内において、靴を見付けたのは、被告靖彦、博文がともに病院に搬送された六月三〇日午前五時すぎ頃のことであつて、しかも、被告靖彦は右搬送に際し、助手席側から頭部を先にして車外へ運び出されたことが認められるので、右靴が助手席側に落ちていたとの一事のみで、被告靖彦が助手席にいたとすることはできない。
(三) なお、前記狼は、前記乙第二六号証の二、同第二七号証の三、四、同第三七号証において、前記3の(三)記載の実験結果に基づき、本件のような側面衝突の事故にあつては、衝突そのものにより、運転者は助手席同乗者に比しはるかに強い衝撃を受け、そのため、重傷を負うことになるから、本件においては、博文が甲車を運転していたものと考えるべきである旨供述する。
しかしながら、前記3の(三)において説示したとおり、本件衝突の部位及び角度及び車体の損傷状況等が右実験の前提となつた諸条件とおよそ異なるものである以上、甲・乙両車衝突による乗員に及ぼす影響、従つて現実の受傷状況も、右実験結果、とりわけ塔載ダミーの損傷状況と相違していたと考えるのがむしろ合理的であるから、ダミーの損傷状況に基づいて、乗員の現実の受傷状況を説明することは妥当とは考えられず、従つて、右供述もにわかに信用できない。
5 目撃者の供述について
(一) 前記乙第二号証の二〇、二三、成立に争いのない同号証の四六、同第七号証の二、三、原本の存在と成立に争いのない同第二四号証の五によると、被告靖彦及び博文の友人である田中まゆみ、沢野賢次、池田良治らは、本件交差点から二六〇〇メートル西方の大泉緑地公園前の土堤でサーキツト族が中央環状線でサーキツト遊びをしていたのを見物していたところ、本件事故前、右土堤に沿う右環状線を松原市方面(東方)へ徐行している甲車の助手席側窓から、被告靖彦が左肘を出し、帰ると合図をして、通り過ぎて行つたのを目撃していることが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
(二) 右認定事実によると、右目撃時の甲車の運転者は博文で、本件事故時も同様であつたのではないかとも思われるけれども、前記各証拠によつても、目撃時と衝突時の時間的関係が詳らかでなく(例えば、沢野賢次は、乙第七号証の二において、一〇分位してうどんを食いに行き、うどんを食べる前に救急車が走つていた、と述べるのに対し、同第二四号証の五において、うどんを食べ終つた頃、救急車の音が聞えたと述べるなど必ずしも明確ではない。)、右認定した状況や緑地から本件交差点までの距離関係のほか、1の(三)で認定した事実を併せ考えると、右緑地前からそのまま塵埃交差点を赤信号で突破し、パトカーに追跡されるに至つたものとはいい難く、右目撃時とパトカーに追跡されるまでの間に、再び運転を交替する時間的余裕は十分に有つたものと考えられる。さらに、成立に争いのない乙第二号証の四四、四五、四七、四八、同第八号証の五、六によると、当夜、博文宅を出て、うどん屋、喫茶店に寄り、大泉緑地に向うまでの間、甲車を運転していたのは、終始被告靖彦であつたことが認められるので、一時博文が替つて運転したことがあつたとしても、再び交替してもと通りとなることは、博文が後記6記載のとおり、強度の近視であることに徴しても、十分有り得るところと推測される。のみならず、前記乙第四号証の二によると、河島徳松は、本件交差点の手前(西方)一五〇ないし二〇〇メートルで甲車に追越された際、運転席の男が水玉模様のシヤツを着用していたことを目撃していることが認められるところ、前記乙第二号証の四八、同第八号証の一一によると、当夜、博文は白い無地のシヤツを、被告靖彦はベージユ色の地にエンジ色の野球のホームベース型の細い模様のシヤツをそれぞれ着用していたことが認められるので、右河島の供述は、一瞬の目撃であるとはいえ、運転席に被告靖彦がいたことをうかがわせるものといえる。以上を総合すると、前記(一)で認定した事実も、いまだ甲車の衝突時の運転者が博文であるとの推定を妨げる事情とはいい難い。
6 甲車の走行状況と博文の視力について
前記1の(三)で認定した事実によると、甲車は、野遠交差点から本件交差点に至るまでの間、高速で先行車の間を縫うように、また、先行車の側方すれすれに追い越していつた状況が認められる。
一方、前記乙第二号証の四八、成立に争いのない同号証の二五、四九、五〇、同第九号証の四、原告健一、同幸子の各本人尋問の結果(いずれも第一回)によると、博文は視力〇・一の近視で、事故当日はメガネを持たず、被告靖彦に甲車の運転を委せて出かけたものであることが認められる。
従つて、博文は、昼間あるいは夜間であつても低速である場合はともかく、メガネを使用することなく、前記のとおり高速(時速一〇〇キロを超える。)で、先行車を巧みに避けながら運転して行くことは、実際には極めて困難なことといわねばならないから、右認定事実は、甲車を運転していたのが博文ではなかつたことを補強するものである。
以上検討したところによると、甲車の事故当時の運転者は被告靖彦であるといわねばならないから、本件事故は、同被告の制限速度をはるかに越える高速で、赤信号を無視して本件交差点に甲車を進入された過失により発生したものということになるから、被告靖彦には、民法七〇九条により原告今井三名及び原告田中両名に生じた損害を賠償する義務がある。
二 次に、原告今井三名は、被告要が被告靖彦の前記損害賠償債務を保証した旨主張するところ、被告要は、これを争うので、以下この点について判断する。
1 前記乙第二号証の五一、成立に争いのない同号証の五二、同第一〇号証の六、証人今井京春、同深井雅俊の各証言、原告多郁子、被告要(第一、二回)の各本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨によると、次の事実が認められる(ただし、証人今井京春の証言、原告多郁子本人の尋問結果中、後記信用しない部分を除く。)。
(一) 本件事故によつて負傷した被告靖彦、博文、勇はいずれも清恵会病院に収容されたため、被告要、原告田中両名、原告多郁子らは直ちに右病院に駆け付け、それぞれ付添いに当つていたこと、事故の翌日である七月一日午前一一時ごろ、被告要は、勇が危篤状態に陥つたとの知らせを受け、同人の病室を訪れたが、緊迫した状況であつたため、原告多郁子らに謝罪の意を表し、極く短時間で退去したこと。
(二) 勇の死去に伴い、原告今井方において、同日及び七月二日通夜が、同月三日には葬儀が取り行なわれ、被告要は、いずれにも参列したものの、原告多郁子と賠償問題について話し合うような機会はなかつたこと。
(三) 原告今井三名側と被告杉田両名側とは、同月二七日原告多郁子方において、損害賠償問題を話し合うためはじめて会合し、原告今井側からは、勇の長兄と次兄京春が、被告杉田側からは、被告要、杉田巖、深井雅俊がそれぞれ出席したこと、席上、原告今井側から賠償の話が持ち出されたのに対し、被告杉田側は、持参した甲車の写真等を用いて、甲車の運転者は被告靖彦ではない旨力説し、被告靖彦には責任はない旨主張するのに終始したため、結局物別れのまま終つたこと。
(四) 原告今井側としては、賠償問題がこじれたことから、正規の話合いに入るため、同年八月七日、結婚式場「加美春日殿」の一室を借り、前記二名のほか、原告多郁子の弟、叔父を加え、被告杉田側の前記三名と協議に入つたこと、席上、被告杉田側は、甲車の運転者は被告靖彦と確定するまでは話合いに応じられない旨を繰り返したのに対し、原告今井側は、運転者確定までは待てないので、原告田中側と協議のうえ、原告今井三名の当座の生活費を欲しい旨の要望が出され、この点については、被告杉田側も善処する旨約したこと、この間、話合いが平行線をたどり、今井側からかなり激烈な言辞もみられた折、前記京春は、被告要に対し、「被告靖彦が運転者と確定した際、父親としてどう考えるのか、」と発問したのに対し、被告要は「そのときは父親として誠意を尽します。」と返答したこと。
(五) 原告今井側から要請を受けた被告要は、原告田中側と接触したが、同原告側から話合いを拒まれたたため、弁護士新垣忠彦と相談のうえ、同弁護士の助言もあつて、示談とは別個に、同月一一日、同月一五日の二回に分けて金一〇〇万円宛計金二〇〇万円を原告今井側に交付したこと、原告今井側としても、被告要において、運転者は被告靖彦でないと主張していたことも配慮し、領収書(乙第一〇号証の六)において運転者が被告靖彦、博文のいずれになろうとも、右金員は、両者いずれかの賠償義務の立替金として受け取るものであり、たとえ博文が運転者と確定しても、被告要には返還しないとの趣旨を明らかにして、右金員を受領したものであること、その後、本訴訟提起に至るまで、被告靖彦が刑事第一審で有罪判決を受けた直後、前記京春において、被告要方に電話で示談促進を申入れた以外には、原告今井側と被告杉田側との間に、本件に関して接衝したようなことはなかつたこと。
(六) そのため、原告多郁子は、検察官の「交通事故による被害回復状況などについての照会」に対し、昭和五〇年一月一六日付回答において「杉田さんのお父さんが本人に法律上の責任はないから示談に応じられないが、道義的立場に立ち、親としての自分より文字通り見舞として渡したいと言われて(金二〇〇万円を)受取つたもの、」と述べていること。
以上の事実が認められ、右認定に反する証人今井京春の証言、原告多郁子本人の尋問の結果は、前顕各証拠と比照してにわかに信用できないし、他に右認定を左右するに足りる証拠は存しない。
2 右認定事実によると、被告要の一連の言動は、保証すべき債務の存在そのものを全く認めていない状況下のものであるから、原告今井側の感情を刺激することのないよう、道義的立場に立つて、誠意をもつて、努力を惜しまない旨を表明したにすぎず、また金二〇〇万円の支払も、弁護士の示唆もあつて、単に立替金の趣旨で交付されたものにすぎないというべきであるから、被告靖彦の債務を保証する趣旨のものとみることは到底できない。
従つて、原告今井三名の被告要に対する請求は、その余の判断をするまでもなく、理由がない。
三 博文が甲車の所有者であることは、原告今井三名と原告田中両名の間に争いがないところ、原告田中両名において、博文が甲車の運行支配、利益を失つた等特段の事情を主張、立証しない本件においては、博文は、甲車の運行供用者であると推認され、自賠法三条により原告今井三名に生じた損害を賠償する義務がある。そして、博文が、本件事故のため事故当日死亡したこと及び原告田中両名が博文の両親であることについては、右当事者間に争いはなく、成立に争いのない甲第五号証及び弁論の全趣旨によると、原告両名以外博文の相続人がいないと認められるので、博文の右損害賭償債務は、原告田中両名が相続によりその相続分各二分の一の割合に応じて承継したものというべきである。
なお、原告田中両名は、博文の債務を承継していない旨主張しているけれども、右は何ら法律上の根拠を有しない独自の見解であつて、到底採用できない。
第三原告田中両名の損害(一一〇三号事件)
一 博文が、本件事故のため事故当日に死亡したことは、原告田中両名、被告靖彦間に争いのないところ、成立に争いのない甲第五号証によると、博文の両親である原告田中両名が、各二分の一の相続分により博文を相続したことが認められる。そして、本件事故によつて原告田中両名に生じた損害は、次のとおりである。
1 博文の損害
(一) 逸失利益
前記甲第五号証、原告健一本人の尋問の結果(第一回)とこれにより成立の認められる同第四号証によると、博文は、事故当時二〇歳で、実父である原告健一の経営する株式会社美原製作所に勤務し、一か年に本給として七三万〇七〇九円(事故前の九〇日間―事故当日は除く。―に一八万〇一七五円を得ているので、一八万〇一七五÷九〇×三六五によつて算定した。ただし、円位未満切捨て。以下同じ。)、賞与として二七万五〇〇〇円(夏分の一三万七五〇〇円程度を冬分としても得ることが認められる。)の計金一〇〇万五七〇九円の収入を得ていたことが認められるところ、同人の就労可能年数は死亡時から四七年、生活費は収入の五〇パーセントと考えられるから、同人の死亡による逸失利益を年別ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次のとおり、金一一九八万四一二九円となる。
(算式) 一〇〇万五七〇九×〇・五×二三・八三二二=一一九八万四一二九円
(二) 慰藉料
本件にあらわれた諸般の事情に照らし、博文の死亡による精神的苦痛を慰藉すべき金額は、金三〇〇万円が相当であると認める。
(三) 甲車の損傷
前記乙第二号証の六、一五ないし一七、原告健一、同幸子の各本人尋問の結果(いずれも、第一、二回)によると、博文は、昭和四八年五月頃、代金一二〇万円位で新車である甲車を購入し、これを本件事故当時まで使用していたこと(この間走行距離は、一万七一二三・五キロメートルである。)、本件事故のため甲車は大破し、全損の状態となつたことが認められる。
右事実によると、甲車は事故当時すでに中古車と認めるべき状態にあつたことが認められるので、事故当時の甲車の価格は、原則として、これと同一の車種・年式・型、同程度の使用状態・走行距離等の自動車を中古車市場において取得し得るに要する価額によつて定められるべきであり、甲車を購入した際の価格により定めることは許されず、また、いわゆる定率法又は定額法によつて定めることも、被告靖彦に異議がない等特段の事情がない限り許されないものというべきであるから(最高裁昭和四八年(オ)第三四九号同四九年四月一五日第二小法廷判決民集二八巻三号三八五頁参照)、原告健一本人尋問の結果(第一回)によつては中古車市場における甲車と同じ条件の価額を具体的に確定し得ず、他にこの点を明確にし得る証拠も存しない。従つて、甲車の損害額を算定し得ない以上、この点の請求は理由がないものといわざるを得ない。
(四) そうすると、右(一)及び(二)の二分の一にあたる七四九万二〇六四円が、原告田中両名各自の相続分ということになる。
2 原告田中両名固有の損害
(一) 葬儀関係費用
原告健一本人尋問の結果(第一回)とこれにより成立の認められる甲第六号証の一ないし一七、一九ないし三〇並びに弁論の全趣旨によると、原告健一は博文の葬儀をとり行い、葬儀費二〇万五〇〇〇円のほか、その関連費用を併せ合計一三〇万円以上を支出したことが認められるところ、博文の年齢、社会的地位、身分関係その他諸般の事情を併せたうえ、経験則に照らすと、本件事故と相当因果関係のある損害と認められる葬儀関係費用の額は、金三五万円とするのが相当である。
(二) 慰藉料
本件にあらわれた諸般の事情に照らし、原告田中両名が博文の両親として、同人の事故死によつて受けた精神的苦痛を慰藉すべき金額は、各金一五〇万円が相当であると認める。
二 過失相殺について、検討する。
1 前記乙第二号証の四六、同第七号証の二ないし四、同第八号証の五、成立に争いのない同第六号証の三、四、証人藤井善樹、同山本隆司、同山田勝彦の各証言によると、被告靖彦と博文とは、中学校の同級生で、卒業後も親しく付き合つていた友人関係にあつたこと、博文は自己の使用する甲車を改造し、しばしばサーキツト遊びに興じ、被告靖彦も同様の遊びを好んでいた関係で、ともにサーキツト族と呼ばれる者にも良く知られ、友人も多かつたこと、本件事故当夜も大泉緑地公園周辺で、他の者たちとサーキツト遊びを共に楽しんだのち、帰途について前記の事故を惹起したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。
2 右認定事実に、前記第二の1記載の認定事実を併せ考えると、博文は被告靖彦と親しい友人関係にあり、当夜もサーキツト遊びを共に楽しんでいたうえ、赤信号を無視してパトカーの追跡を受けていたのであるから、助手席に同乗する者として、被告靖彦に運転の中止を指示し、危険な運転による事故の発生を回避すべき立場にあつたといえるのに、何らこれらの指示をなすこともないまま、被告靖彦の危険極まりない運転に同調し、事故に遇つて被害を受けたものと推認することができるので、原告田中両名の損害の算定にあたつては、その四割を過失相殺として減ずるのが相当と認められる。
三 よつて、被告靖彦は原告健一に対し金五六〇万五二三八円、同幸子に対し金五三九万五二三八円及び右各金員に対する本件事故の日の後である同原告ら主張の起算日である昭和五一年三月二一日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付して支払う義務があるというべきである。
第四原告今井三名の損害(二七〇六号事件)
一 勇が、本件事故のため事故の翌日である昭和四九年七月一日に死亡したことは、原告今井三名と被告杉田両名及び原告田中両名間に争いのないところ、原告多郁子本人尋問の結果によると、勇の妻である原告多郁子、実子である同佐知子、同勲が、各三分の一の法定相続分により勇を相続したことが認められる。そして、本件事故によつて原告今井三名に生じた損害は、次のとおりである。
1 勇の損害
(一) 逸失利益
成立に争いのない乙第二号証の五一、原告多郁子本人尋問の結果とこれにより成立の認められる丙第一号証の一ないし三に弁論の全趣旨を併せ考えると、勇は、事故当時四〇歳で、株式会社イマイに勤務し、一か年三三〇万円の収入を得ていたことが認められるところ、同人の就労可能年数は死亡時から二七年間、生活費は収入の三〇パーセントと考えられるから、同人の死亡による逸失利益を年別ホフマン式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、次のとおり、金三八八一万八一六四円となる。
(算式) 三三〇万×〇・七×一六・八〇四四=三八八一万八一六四円
(二) そうすると、右(一)の三分の一にあたる一二九三万九三八八円が、原告今井三名各自の相続分ということになる。
2 原告今井三名の各固有の損害
(一) 葬儀関係費用
原告多郁子本人尋問の結果とこれにより成立の認められる丙第二号証の一ないし一八並びに弁論の全趣旨によると、原告多郁子は勇の葬儀をとり行い、葬儀費金三七万四一〇〇円のほか、その関連費用、仏壇購入費等を併せ合計金二九〇万円以上を支出したことが認められるところ、勇の年齢、社会的地位、身分関係その他諸般の事情を併せたうえ、経験則に照らすと、本件事故と相当因果関係のある損害と認められる葬儀関係費用の額は、金四〇万円とするのが相当である。
(二) 慰藉料
本件にあらわれた諸般の事情に照らし、原告多郁子が勇の妻として、同佐知子、勲がその子として、勇の事故死によつて受けた精神的苦痛を慰藉すべき金額は、原告多郁子につき金三〇〇万円、同佐知子、同勲につき各金二五〇万円が相当であると認める。
二 次に、原告田中両名の過失相殺の主張について、検討する。
第一の一の争いのない事実に、第二の一の1に冒頭に掲記した各証拠(原告今井三名と原告田中両名間においても、書証の成立関係は同一である。)を併せ考えると、同1の(一)ないし(五)記載の事実が認められ、これを左右するに足りる証拠はない。
ところで、本件交差点のように信号機の表示する信号により交通整理が行なわれている場合には、同所を通過する者は、互いに信号に従わなければならないのであるから、交差点を直進する車両の運転者は、特別の事情のない限り、信号を無視して交差点に進入してくる車両の有り得ることまでも予想して、交差点の手前で停止できるように減速し、左右の安全を確認すべき注意義務は負わないものと解するのが相当であるから、右認定事実のもとにおいては、勇には本件事故発生につき、原告田中両名が主張するような甲車の動静を注意する義務に反する過失はなかつたことが明らかである(もつとも、勇には制限速度違反があるけれども、同人が制限速度を順守していれば、事故の発生を避け得たこと、あるいは、損害がより軽微にとどまつたこと(勇が死を免れ得た。)を認めるに足りる証拠はないので、右速度違反と損害の発生ないしはその拡大との間に因果関係を認めることはできないうえ、被告靖彦の重大な過失と対比してみても、右速度違反をもつて、過失相殺の対象とすべき過失ということはできない。)。
三 損害の填補について検討する。
原告今井三名が、自賠責保険金一〇〇〇万〇四九〇円の給付を受けたこと及び被告要から金二〇〇万円の支払を受けたことは、いずれも争いがないので、これを原告今井三名の主張に従い各金四〇〇万〇一六四円宛前示一の各合計金額より控除すれば、原告多郁子には金一二三三万九二二四円の、同佐知子、同勲には各金一一四三万九二二四円の損害がなお残ることになる。
四 弁護士費用
本件事案の内容、審理経過、認容額等に照らすと、原告今井三名が本件事故による損害として賠償を求め得る弁護士費用の額は、原告多郁子につき金一〇〇万円、同佐知子、同勲につき各金九〇万円とするのが相当であると認められる。
五 よつて、原告多郁子に対し各自、
(一) 被告靖彦は、金一三三三万九二二四円(前記三と四の合計額)、
(二) 原告田中両名は、それぞれ金六六六万九六一二円(前記三と四の合計額の二分の一宛)、
原告佐知子、同勲それぞれに対し各自、
(一) 被告杉田靖彦は、金一二三三万九二二四円(前記三と四の合計額)、
(二) 原告田中両名は、それぞれ金六一六万九六一二円(前記三と四の合計額の二分の一宛)
に、弁護士費用をそれぞれ控除した金員に対する勇死亡の日である昭和四九年七月一日(原告今井三名は、本件事故の日を起算日とするけれども、その請求は、いずれも勇死亡に伴う損害の賠償を求めるものであるから、損害発生の日すなわち勇死亡日を起算日とすべきである。)から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を付して支払う義務があるというべきである。
第五結論
以上の次第で、原告田中両名の被告靖彦に対する請求は、前記第三の三で説示の限度で正当として認容し、その余は失当として棄却すべきものであるから、主文一記載のとおりとし、原告今井三名の被告要に対する請求は、全部失当として棄却すべきものであるから、主文二の3記載のとおりとし、原告今井三名の被告靖彦、原告田中両名に対する請求は、前記第四の五で説示の限度で正当として認容し、その余は失当として棄却すべきものであるから、主文二記載のとおりとし、訴訟費用の負担について、民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言について、同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判官 弓削孟 佐々木茂美 長久保守夫)